文化デリックのPOP寄席

第0回 2005年2月 ゲスト: 堀雅人(放送作家/ライター)

小田扉『団地ともお』 コミック:小田扉『団地ともお』(小学館)

「ビッグコミックスピリッツ」で連載中の漫画。団地住まいの小学4年生・ともおが繰り広げるバカでありながら微笑ましい行動の数々を描く。ほのぼのかつラジカルな描写は、読者にそれぞれの子供時代を思い出させてやまない。現在、単行本は4巻まで発売中。小田扉の他の作品には、『男ロワイヤル』『江豆町』などがある。


堀:

漫画原作を始めた都合上、最近いろいろ漫画を読む必要に迫られていたんですけど、中でも面白かったのがこれで。ギャグ漫画です。すごくザックリ言ってしいまえば『ちびまる子ちゃん』に吉田戦車テイストをミックスさせた感じですかね。僕、こういう才能に一番あこがれるんですよ。あるある感というか、じんわり共感できるような笑い。自分にない才能なんで。


川勝:

“あるある”が“ないない”だと。


堀:

そういうことなんですよ(笑)。


川勝:

放送作家業においても、そういう感じなの?


堀:

ふかわりょうさんとか、いつもここからなんかのネタ本も、気楽に読めずに一生懸命学ぼうとしちゃう。付箋とか貼って読んだりして(笑)。


下井草:

あるあるネタって、今のテレビの王道だもんね。


堀:

でまあ、この漫画の内容は、団地住まいのともおくんがバカなことばかりするんです。例えば、大人と一緒に麻雀やってるとき、牌がべたべたすると思ったら、ともおくんが、物食いながら麻雀をやってた、というような子供のバカが満載なわけですね。


川勝:

ベタベタなわけですね。何年生の設定ですか?


堀:

小学4年生ですね。自分の漫画(『フリオチ』)にも活かせるかなと思って読んでたんですけど、そういうのと関係なく笑っちゃいました。小田扉さんは名前だけは知ってたんですけど読んだのはこれがはじめてで。本当のとこはどうだか知らないですけど、吉田戦車さんの影響を感じたし、そこの呪縛からうまく抜け出したな、と思いながら読んでいましたね。


下井草:

確かに、ここ15年ぐらいは、吉田戦車文法が支配的でしたからね。


川勝:

世代的な呪縛がある、ということなのかなあ。


堀:

そうですね。そういう呪縛ってことでいうと、自分の場合、活字の領域においては、天久聖一さんが『バカはサイレンで泣く』でやったことは、何をやっても超えられないというのがすごくあったんですけど。


下井草:

と言いながら、堀くんが原作者として連載を始めた漫画は、深夜放送のハガキ職人、つまり『バカサイ』と同じ投稿がテーマ。


堀:

やっぱ投稿、好きなんですよ。『VOW』読者上がりだし(笑)。何とかならないか、いろいろ考えて行き着いた感じですかね。ハガキ職人の漫画があったら死ぬほどくだらないネタを物語の中でバトルとして描けるなあっていうパロディっぽい思いつきがまずあって、じゃあ実際に読者参加にしよう、ちゃんとした少年漫画みたいにしよう、とかいろいろ試行錯誤して。


下井草:

少年誌だとエッジは立てずに、しかしきちんと面白いものを提供しないといけないから難しいですよね。ある種ゴールデンタイムのテレビと同じ縛りがある。


堀:

最初は、もっと『サルまん』(相原コージ・竹熊健太郎の伝説的メタ漫画『サルでも書けるまんが教室』)的にエッジが立っていて、形式がもっと全面に出たものになると思っていたんだけれども、意外とそうではなくなった。


川勝:

愛、友情、勇気―少年漫画の王道を行っているよね。


下井草:

確かに。放送作家のお父さんと天才ハガキ職人との父子関係のなかに、どんどんこれから発展していくだろう伏線が盛り込まれていて。


堀:

もとはバカなネタをやりたかっただけのに、どこまで風呂敷を広げるんだって感じですけど(笑)。そういう意味でいうと、放送作家として「めちゃイケ!」参加したのが大きいと思います。テレビの視聴者をつなぎとめておくには、何か縦軸を設定しておかないと全然観てもらえないという基本を学んだので。


川勝:

モンティ・パイソンやラジカル・ガジベリビンバ・システムの系譜じゃ、一般ピープルに観てもらえない。


堀:

で、そういう基本は少年漫画とすごくかぶるなーと思いましたね。宮藤官九郎さんのドラマでもやっぱ縦軸のしっかりしてる「池袋ウエストゲートパーク」が一般的にすごく人気あるじゃないですか。「木更津キャッツアイ」も面白いけど、わかりやすい縦軸があるわけじゃない分、一般的には難しいのかなーって観た時思いましたね。


下井草:

クドカンとかそういうことは関係なしにダラダラ観ている人たちがいるわけだもんね。だから、視聴率はまあまあだけどDVDの売り上げは抜群という不思議な事態が起こる。まあ、言うまでもなく、「ガンダム」とか「エヴァンゲリオン」もそうですけど(笑)。


川勝:

「池袋ウエストゲートパーク」には原作があるし、最終的に抗争という縦軸があるんだけど、「木更津キャッツアイ」は死ぬ直前の回想だから、そこに至る間はどう転んでもいいって感じだよね。


堀:

それが好きな人もいるだろうけど、そうじゃない人たちを相手になんかできないかなーと、いろいろ考えてるところですね。


川勝:

結局、堀くんはもはやすべてをコント的展開でしか見れない男なんじゃないの(笑)。


下井草:

それは言える(笑)。


川勝:

ウディ・アレンの『さよなら、さよならハリウッド』の試写後にお茶したときも、「あそこのコントが弱い」って堀くんがダメ出ししてたからね(笑)。


堀:

クセなんですかねえ。ミシェル・ゴンドリーの『エターナル・サンシャイン』も、笑いの演出が弱いことにすごい引っかかっちゃって、話に集中できない。


川勝:

コントという部分と縦軸の物語性―両方で引っかかってるんでしょ?


堀:

うーん。僕、基本的に話を追うのって苦痛なんですよ。だからこそ、その場その場で楽にしてくれるはずの笑いの演出がダメだと、どうしても厳しく見ちゃう。そういうことないですか?


下井草:

ありますねえ。


堀:

だからミシェル・ゴンドリーとスパイク・ジョーンズのどちらがいいかといえば、スパイク・ジョーンズのほうが僕は全然いいんですよ。


川勝:

同じチャーリー・カウフマンの脚本でもね。


堀:

カウフマンの脚本で『マルコビッチの穴』はスパイク・ジョーンズが撮ったじゃないですか。今回の『エターナル・サンシャイン』も、設定は「バカの考えるSF」みたいな感じで(笑)、『マルコビッチの穴』と多分共通していると思うんですよね。で、今回のほうがお話として、カウフマン的には前進している気がしたんですね。だけど作り手のミシェル・ゴンドリーが、もう少しちゃんと笑える部分の工夫をしたほうがいいんじゃないかと思いましたね。


川勝:

コント力が弱いと。


下井草:

フックがあまりないんだよね。


堀:

もっと有効な見せ方がいっぱいあるのにと思いました。日本の映画でも同じで、笑わそうとしすぎて、フリでいらないカットがたくさんあったりする。テレビの現場で当たり前の笑いの感覚が映画でできている人が意外と少ない。そういう才能を持った人たちが出てきてもおかしくないのになあと思いますよ。


川勝:

最終的には「俺が撮る」と(笑)。


下井草:

撮ってくださいよ。


堀:

なんでですか(笑)! でも、同世代でそういう感覚を持った人は出てきてほしいとは思いますねえ。『真夜中の弥次さん喜多さん』はまだ観てないんですけど、宮藤官九郎さんの脚本でいうと、『GO』の教室のコントはすごく良かった。コントに信頼が置けるなと思うと話に没入できる。そういう感覚って僕個人だけのものなのかもしれないですけど。


川勝:

つまり、行定(勲)監督にはコント力があると?


堀:

あります(笑)。でも、そういう見方する人って同世代では多い気がしますけどね。


下井草:

こちらに嫌なものが残らない感じで笑わしてくれれば、ほかの部分もひっかからないで観られるんだけど、作品中のコントというか笑いにつながるシーンがつまらないと、この監督は他の部分についても才能ないんじゃないかと思っちゃうんですよね。


堀:

そういう見方はすごくしちゃいますよね。